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景勝・旧跡
「長生きぽっくり地蔵さん」

長生きして寝たきりにならずぽっくりあの世にいけますようにという願いをかなえてくれるお地蔵様。
「鎮守堂 子宝社」

雪舟が逗留したことで知られる赤穂藩の製塩の豪商亀田家にあったものを当村出身の越智氏の縁で移築した光蔵寺を守る鎮守社。銅版に葺き替える前は茅葺であった築百年いじょうを経過する。

当山を越智氏の氏寺として開基したと伝えられる小千益躬(おちのますみ)公を祭神とし、併せて別当であった稲荷明神の御神体のひとつであった子宝石を祭祀していることから「子宝授かり」「安産」に霊験ありと云い伝ふ。
「一願堂」(手前)

護摩修行や護摩祈願を行うお堂である。
江戸時代・文政8年建立 築約200年
このお堂は今治藩主松平定芝公の命により当時の住職であった隆快上人が文政6年(1823年)から8年にかけて建立した。

堂内には草花88種が88枚の天井絵に描かれている。また堂内の彫刻と瓦に菊紋が用いられ嵯峨御所大覚寺門跡の仏画などとあわせて当時の大覚寺との関係の強さを知る事ができる。

堂内には等身大の薬師如来坐像・一願青不動明王像・延命地蔵菩薩立像・弘法大師像などを安置している。

「本堂 薬師堂」

本尊である薬師瑠璃光如来立像をお祭りする御堂である。
この尊は檜の一木造りの立像、定朝様式で時代は11世紀、平安時代中期から後期にかけての仏像とみられる。 頭に螺髪を表さず着衣にも衣褶を表さない表現は神仏習合時代の特徴を示し貴重である。

現在の本尊は寺伝には行基菩薩とも別当大師光定の作とも伝えられる像で古より「厄除薬師」として信仰を集め、節分などに厄除け祈願を行っている。


「一願不動尊」

一願堂に安置する多数の仏像の中に心中の一願を必ず叶えると言われる「一願青不動明王」がお祭りされている。これが一願堂の由縁である。

この青不動尊に49度49日参詣し燈明と線香を供え不動真言49遍を一心に唱え願えば願いの功徳が得られるという。

江戸期に縁あって大洲藩加藤公から拝領せしものと伝えられる。
「延命地蔵尊」

延命地蔵さんと千手観音さんの石仏である。

それぞれ江戸中期ぐらいの頃のもので一番右の延命地蔵には石像ともに延命経というお経が一部奉納された事が記されている。
真中のお地蔵様は地元の人曰く「昔から足の痛いところをさすったら治るとおばあさんがいつもさすっていた」という。足の悪い人に霊験ありという。

お地蔵様の後背に絵馬かけがあり「健康祈願」[安産子育」などの絵馬を用意しております。
「願かけ絵馬」 

「一願不動尊」「延命地蔵尊」「大願成就」
などそれぞれ一枚500円です。
「円光寺 地蔵堂」

元渡辺家の持庵で今は水の上 下部落の庵堂。元来施餓鬼法会の折には光蔵寺の位牌堂となっていた。

地蔵菩薩像をお祭りする。
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「庄屋武田家先祖の墓」

墓所には石室の御室が二基並べられており、中の卒塔婆には戒名が彫られているが風化している。石の扉がついていたが今は割れてしまっている。

御室墓の上は四本の石柱に大瓦の屋根で覆われている。
その石柱に年代と施主武田七右衛門の名が刻まれている。光蔵寺に現存する寛永18年(1641年)の位牌に武田七右衛門満古が先祖を祀ったものがあることからその時点ですでに風化にさらされていたこの墓を雨風から守るためにさらに屋根を建立したのだろう。

墓標の様式がこの地域の江戸期の墓には類をみないこと・江戸初期の時点で子孫が墓を屋根で保護した事から鑑みれば室町〜戦国時代に建立された墓であることが推察される。墓の様式等の時代研究が待たれる。
「向かいの山からみた光蔵寺の全景」

光蔵寺のある水之上地区からさらに上流の浅地地区や朝倉ダム・龍門山頂からから見ると常に正面突き当たりに光蔵寺が見えることから風水でいうところの「龍穴」にあたっていることが推測される。

「龍穴」とは、流れてくる龍脈(気の流れのこと)が丘や小山などに突き当たって吹出す場所のことである。石鎚山を「太祖山」と考えた場合、光蔵寺の三方を囲む龍門山と五葉山と世田山が「主山」となり、それを伝って来た龍脈が光蔵寺背面の医王山(椿ヶ森)および小寺山にあたって気脈の吹出す龍穴となるのである。

光蔵寺の山門のすぐ前には小寺川が流れ、小さいながらも風水学上最も良いとされる「背山臨水」の地形に立地している事がわかる。以上のことから、おそらく考えてこの地に建立されたのであろう。

光蔵寺で狼煙を上げた場合、浅地から龍門山にかけての地区ではよく見えるであろう。
光蔵寺の境内からは向かって
真正面に「龍門山」、右手に「五葉山」、左手に「世田山」
を見渡すことができ、天気のいい日であれば龍門山と世田山の間に「石鎚山」を臨むことができる。

さらに背面より奥にかけて右手に「小寺山」、左手に「明神山」が広がる。
そのすそ野の部落が「水之上」である。